「豊かな海づくり」会長賞/留萌・新星マリン漁協を訪問 | 08.08.11 |
日本海からの風が強い北海道西北のまち、小平(おびら)町で、危機にひんしたナマコ漁を数年がかりでよみがえらせた新星マリン漁協鬼鹿(おにしか)ナマコ部会の漁師たち。9月に開かれる全国豊かな海づくり大会で最高位の大会会長賞を受賞します。同漁協を日本共産党道議団、おぎう和敏道北政策委員長らが訪ねました。
(富樫勝彦)
魚や貝などの水産資源を保護し増やすことと、海や河川・湖沼の自然環境を守ることの大切さを考えようと、1981年から毎年、海のある都道府県で開催しています。新潟大会(9月6、7日)には約5万人が集い、「生きている 生かされている この海に」をテーマに、豊かな海を未来に引き継いでいくために行動する「守り人(もりびと)」の輪を広げる活動を推進します。
「北京オリンピックの真っ最中だけど、わしら漁師にとって、金ノダルをもらったような快挙です」。こう語るのは今村武部会長。15歳で漁に出て、この道60年の超ベテラン。赤銅色の顔をほころばせて喜びます。
ホタテなどの貝類やタコが漁の中心の地で、ナマコ漁家は6戸です。同町の沿岸17キロと沖へ向かって5キロの長方形が操業区域です。三十数年前に設立し、小型の底引き網で当時146トンの漁獲量がありました。
それが年々減少を続け、1991年には、わずか9トンまで落ち込んでしまいます。
底引き網のナマコの数量を見て、「このままではナマコ漁が壊滅する」。危機感を抱いた漁師たちは、夜になると連日集まり、打開策の議論を言ねます。
そして復活に期待をかけ、92年から3年間、全面禁漁を決断したのでした。
「この決断は本当につらかった。ナマコ漁を消滅させることだけは絶対に避けなければならないとくり返し話し合い、なんとか漁師全員の承諾を得たんです」と今村さん。
3年間の禁漁と2年間の試験調査燥業を径て、ようやくナマコ資源が回復しました。
資源の管理にも力を入れました。ナマコは130グラム以上の成魚になるまで5、6年かかりますが、これまでは捕らないよう厳しく規制しました。各船に秤(はかり)を積み、「あいまいなものは量る」と決め、少しでも軽いものは海に返しました。
競争漁業もやめました。従来は捕った者が勝ちだとばかりに先を争い、事故やけがも絶えませんでした。
いまは午前5時出発、午後4時帰港にしています。年間の漁獲量が30トンを超えると翌年の漁獲量が減少するため、総漁獲量上限を28トンにし、平等に一戸当た4・7トンと割り当てました。
「一戸当たり漁獲量を決めたら、気持ちにも余裕がある漁業になりました」と今村さんは振り返ります。
6月の産卵期には操業せず、小さいナマコの繁殖地の浅瀬は、岸から800メートルを禁漁区にもしました。
おぎう氏をはじめ、日本漁業を守ろうと全道で対話を広げている花岡ユリ子、真下紀子両道議らが11日、同部会と懇談しました。
おぎう氏が「後継者は増えていますか」と聞くと、今村さんは「まだ軌道に乗ったとはいえませんが、『ナマコはいい仕事だなあ』と若い人が言うようになりました」とうれしそうに語ります。
「ここまでくるには留萌支庁の水産普及員や道の専門家が大きな役割を果たしてくれました。だから支庁再編で留萌支庁をなくすのは困る。道は、第一次産業の支援をしっかりやってほしい」
おぎう氏らは「漁業が大変ななか、資源や環境を守るため、先を見て計画的な努力をしているみなさん方の仕事ぶりに、大事なものを教わりました」とねぎらいました。
(08年08月22日付「しんぶん赤旗」より)
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